フランスのノジエールという村は聞いていたよりも暑くなく、そして思っていたよりも田舎にあった。
そこで農業と酪農に励む日々である。
7月の暮れにロンドンでの滞在ビザが切れた私は、ヨーロッパを1ヶ月ほど放浪してから帰ることにした。もっとも金はないのであくまでも放浪ということにしている。
元々は他の日本人と同様に、ビザが切れる直前に日本に帰る予定だったが、将来のことを考えたくなかったことが由来してかチケットを一か月前までに取ってなかったら、円安や戦争などの世界情勢により到底買うことのできない値段になっていたため急遽そのまた一か月先の便を取った。そうなるとビザの都合上、一度国外に出る必要があった。せっかくならばと思うに至る。
差し迫る出国日に向けて身辺整理や仕事の引き継ぎを慌ただしく終え、フラットメイト且つロンドン生活の相棒であったマサキと30日の明朝、2年近く過ごしたロンドン北部の端くれにある家を後にした。
St Pancras駅からParisを通過してAmsterdamまで。
ユーロスターはとても便利だ。ちょいそこまでで国を一つ二つ駆け抜けていく。
昼前にはアムスについた。
基本的にこの放浪旅では場所を求めていく訳ではなかったため、チケットの予約はおろか予定をほとんど立てなかった。放浪できるのならどこでもよかった。直前であそこに行こうかここに行こうなどと思案するのがよかった。しかしその中でもアムスは僕の中では外せない場所だった。
魅力的な場所であるのはもちろんのこと次回もしワーホリするならオランダだと思っていたからである。英語が第二言語であること、ワーホリ後のフリーランスビザが江戸に結んだ日蘭通商条約がまだ有効で、取得しやすいなど理由はあるが、何よりも思い浮かべた時のイメージがよかった。
今思えば、ベルギーなど選択肢は調べればあったと思うが、結局のところ一番現実に即していたからに他ならないからである。
昼前にはアムステルダム中央駅に降り立った。
駅の前にはすぐ川が街中を流れており、川沿いにカフェやレストラン、ブティックなどが立ち並び、本当の意味で川をベースに街を作ったことが伺えた。
それを見て「マジでハウステンボスやん、、!」とマサキに言った。綺麗とかカッコいいとかの前に思えたほど、ハウステンボスが忠実にあの世界観を作り上げたことに感嘆したのである。
佐世保出身である彼も意見に同調していた。


街の至る所で×××のマークを見かけた。店の軒先や、レストランのディッシュの旗、また人々のタトゥーや公営のゴミ収集車に至るまで街のあちこちで。
気になって調べると、これはアムステルダムの象徴ともいうべき市章であるそう。
キリスト教由来の説がもっとも有力だが、かつてアムステルダムを苦しめた三つの災いから街を守ってきたという誇りを表しているのが通説だ。火事、洪水、ペストの三つ
である。
今では、街に本拠地を置くフットボールチーム、アヤックス(敬愛する冨安健洋も昨シーズン在籍)の首裏にもプリントされている。余談だがオランダではシーズン期間中でもないのに地元チームのチームシャツを日常から着ている人が多かった。この後に行ったロッテルダムでもフェイノールトを着ていた人が多数見かけたのでオランダでは土着のクラブ愛が高いのだろう。フットボール狂のロンドンでも試合もない日にサポートクラブのシャツを来てソーホーを歩いているヤツがいたらそいつはちょっと変なやつか観光客で間違いない。
この街は夜にはまた一層違う側面を見せる。特にレッド地区と呼ばれる風俗街が有名で、そこには夜になると街が赤のネオンライトで染まる。通称飾り窓と呼ばれる窓に裸体に近い格好をした女達が立ち、目の前を通る客を誘惑する。日本の飛田新地を思い浮かべるとわかりやすい男性諸君も多いだろう。ここアムステルダムではセックスワーカーの権利が尊重されているのを感じた。地区の至る所にそのようなサインやセックスワーカーライツの像などがあった。これも一つの立派な文化であり、商業なのだ。愛されてこそないだろうが住民はそれを理解し文化として溶け込んでいた。もっとも彼女達の出身はオランダではなく、他国からの出稼ぎであり現実は色々と入り組んでいるのだろうが。金もないので歩き回って帰った。
そうして夜は更け、明くる日また違う街に。
将来住む街かもと街を歩いた感想としては、住むには上等という感じ。今回アムステルダムセントラルしかほぼ観光できなかったので実態は未だ掴めていないが、ロンドンよりアジア人は少ない、女の子は可愛い、スーパーは少ない量での個包装で売ってあるなどいいところは感じた。正直余裕で住むことはできる。しかし惚れ込むほどのスペシャルな何かを感じることはできなかった。住むだけのことにそんなのは必要かという議論はさておき。
もちろんまだ知らない一面があるのは当たり前だと前提に置いた上で、なるほどこういう感じねというくらいのフワッとしたままで心に収めといとくことにした。
その後いろんな話を聞いたがあまりいいイメージを持つことができなかったのは余談。
それにしても素敵な街であることに変わりなく、ここでゲントピックスをダンプ。






次の街、ロッテルダムへ。アムステルダムからはバスで2時間ほどだっただろうか。この旅の移動は基本バスで行く。都市間をFlix busという格安バスが運行していて3000~6000円くらいで国境を越えれるし、深夜バスを選べば、宿代も浮いて寝て起きると目的地に着く。
ロッテルダムという街は、オランダ第二の都市で、モダンなビルや建造物が立ち並ぶ。なんでも世界大戦時にナチスドイツによって街が破壊されてしまったため古い建物は残っておらず、新たに都市開発をしたとのことだった。欧州でも指折りの港湾都市であるため狙われたのだろう。都市規模こそ違うにすれ、東京を思い浮かべた。
街の中心から港まで歩く。歩くことでその地の風土やリズムを感じることができる。ヨーロッパの夏はそこまで気温は高くないが、日差しが強い。1時間か2時間ほど歩いたら小型の遊覧船に乗った。
港とはいえ、川である。オランダは国土の多数が海抜マイナスに位置しているため、川や水のたまり、海が混在している。川を逆流して1時間。目的地へ着いた。

キンデルダイクという村なのだが、古くから残る風車小屋が立ち並び風光明媚な場所として人気である。ワンピースのルフィの出身であるフーシャ村のモデルとも言われている。
オランダにおける風車の主な役割は’水はけ’のためである。海抜がマイナスであるからがして古くから浸水や洪水などの水害に苦しめられてきた。そのため水が溜まりやすい箇所に風車を設置して水をかき揚げ海に流れている川まで放流するというのだ。初めこの話を聞いた時理解ができなかった。水たまりといえど湖以上に大きな水がそこにあり、どうして古代の風車ごときが低いとこから高いところへ水をかき揚げれるのかと。仕組みは単純だった。一つの風車が揚程1m〜2mほどだそうだ。そして少し高さの高い水たまりに流す。そしてそこからまた風車で上にあげる。それを繰り返す。川に連なる風車は数十センチ高さがそれぞれ違うらしい。それを風車小屋をバカほど作れば水害を減らせたというわけだ。電力もない時代に風の力だけで、、先人達は偉大だ。

風車を一つ一つ見ていくとそれぞれ雰囲気が違うことに気づいた。おそらくそれぞれに担当者なりがいて住んでいたりしたのだろう。「俺は3番風車の〇〇というもんだけれども‥」などというジイさんを思い浮かべておかしくなった。また新しいスクリューを開発して揚程を1m上げることに成功したジイさんの銅像があったりなどして当時に思いを馳せるとなんとも愛らしい気分になった。

最終便で村を後にし、都市へ戻った。ロッテルダムに来てみてより身近に住むことを想像できた。深夜に道を歩いていて人が近づいてきたら少し身構えたものだが、近くまで来ると、地元ロッテルダムボーイ、ガールだったことがほとんどでこの時間に出歩けるならばと治安の良さを感じた。ロンドンに住み慣れてしまったことの弊害の一つであろうが、得体の知れない黒人やアラブ人は’まだ’ここまできてないようだ。オランダと言えば、怪しげな草やキノコが合法であることが有名である。街の至る所で「コーヒーショップ」を見かけた。詳しくはここでは書かないが気になる人は会った時に聞いてみてほしい。
バスで国境を越え、ベルギーへ向かった。マサキの気に入っているアントワープで一度降り立ったが私は別の街に興味があったため、夜にアントワープで再開することを約束し、1人ゲントへ向かった。ゲントとは無論ベルギーの都市の名前である。どんな街かは知らなかったが、僕がゲントという名前で生を受け、その名と同じ都市があるのなら惹かれるのは当然ではないだろうか。また生まれてこの方同じ名前の人間に会ったことがなかったからゆえ、仲間にあったような、そんな感覚がした。
結論から言うとゲント最高だった。さすがゲントとしか言いようがない、あっぱれである。
ゲントでのんだエスプレッソトニックシトラスドラフトはブリリアントだったし(僕らはこのドリンクには目がない)、ギルドハウスと呼ばれる建物は荘厳でかっこよかった。


この場所で僕は友人から託されていた習字箱を用いてストリートパフォーマンスをやった。内容はシンプルであなたの名前を半紙に漢字で書きますよ。と言うもの。日本人なら誰でもできる。がしかしここではそれがレアでクールなものになる。ベルギーはストリートパフォーマンスに寛大な国だそうで、事前の申請も必要ない。そのため街の大広場で広敷を広げて堂々とやった。ただ一つ注意点があり、例えば一枚5ユーロです!としてしまえばそれはパフォーマンスではなく路上販売になってしまうため、あくまでもチップ制にすることにした。20,30人に1人が立ち止まってくれるほどだろうか。2時間で22ユーロ稼ぐことができた。一度だけ奇妙なことがあって、通りすがる人々を見ながらボーッとしているとイスラムらしきヒジャブを被ったおばあさんが合計1.6ユーロコインをボックスに入れてウインクして立ち去ったのだ。咄嗟のことで反応できず、何も言えなかった。あれは何だったのかお恵みなのか(パフォーマーに?)、中途半端なコインだし何か意味ありげ?よく噛み砕けなかったが神からの恵みとして感謝した(どの神様にお礼を言おう)。

総じてゲントは最高でこの街と自分がさらに好きになった。店員や出会う人全てに僕の名前もゲントって言うんよ!て話した。勢いでアイラブゲントTシャツも購入した。そのTシャツをどこかの宿に忘れてしまったのは痛恨の極みである。

アントワープでマサキと合流して歴史あるカフェと呼ばれる実質パブかレストランで食事していると隣の老夫婦から話しかけられ共に夕食を取ることに。二人は近くに住んでるようでベルギーのこと、旅のこと、しまいには人生について語り合った。貧乏で大変なんですというと若い時はそれを楽しめればいいじゃないか。と笑ってくれた。毎週末夫婦で決まって外食に出かけるらしい。仕事を引退してゆっくりした人生を謳歌しているようだ。彼らの優しさからは彼らの人生の濃密さが伺い知れた。そのためあの優しさを持っているのだろう。そして毎週末2万円の夕食を取る。何ともラブリーである。

一日パスを購入してチャリで街を駆け巡った。旅のススメとしてあてもなく流れるように歩いたり自転車を漕いでみることはおすすめしたい。とても気持ちが良い。


そうして1日を終え、次はドイツ、そして旅のメインであるフランスに向かう。
しかしドイツはただデュッセルドルフの混浴サウナに丸一日いただけなので割愛する。(いかがわしいものではない)がしかし人生で一番のレジャー施設を体験したことは間違いない。デジタルから離れゆっくりと非日常的なリラクゼーションを受け体を労わることができた。気になる人がいたら聞いてくれれば嬉々として話すだろう。
それでは次は南仏農業編!チャオチャオ!











































